忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 吸血鬼を自称する男と知り合ったのは、まだ十二の頃の事だ。
 それは片親ながら二児を誠実に育ててきた父が、事故により唐突として亡くなった翌日。葬儀の空気とは程遠い、からりと晴れた真夏の日だった。

「私の名はアメディオ・フィリッツィオ。君達の母であるマリア・クロノの古い友人だ」
 突然現れた男が口にした名前―――マリア・クロノが『黒野 真理亜』、つまり実母の名だと気付くのに、桜は数秒の時間を要した。何故なら物心ついた頃から母との記憶は無く、彼女は写真の中の住人でしかなかったからだ。
 存在すら曖昧な母の名を諳じた得体の知れぬ訪問者に、実父を亡くしたばかりの子供が怪訝の眼差しを送ったのは、当然の反応だった。何せアメディオと名乗った男は、名前の通り日本人とは程遠い。しかも「古い友人」と例えた本人は、桜達が知る写真の母より尚若い、まだ二十五に満たないだろう青年なのだから、その言葉の齟齬感は明白である。
 あからさまな猜疑を二人の子供から浴びせられた男は、しかし少し意外そうに片眉を上げて見せただけだった。
「何だ、君達は己の母が何者たるかを教えられていないのか」
 聞き方によっては侮辱とも取れる言葉だ。
 一層眉根を寄せた二人に構わず、男は独特のイントネーションで続けた。
「君達の母、ブラックマリアは二百余年を生きた緩老者――ヴァンパイアと言った方が分かり易いだろうか――であり、私と同族なのだよ」
「嘘だ」
 余りに荒唐無稽な告白にすかさず反論したのは、桜だった。それ自体は反射的な行動だったが、驚きに振り返った八重太と目が合うと、自然と彼女の頭から混乱は去っていった。心の深い部分で、無意識に弟を守ろうとしたのかもしれない。
 長身の男を見上げる形で視線を戻すと、桜はどこか愉快げな彼を睨み付けた。
「何が目的か知らないけれど、吸血鬼なんて、私達を馬鹿にしてるの?」
「何故そう思う」
「そんなの、誰もが想像上の生き物だって知ってる。非現実的過ぎる」
「非現実だって? 今正に君達の前に存在しているのに。現実を受け入れる柔軟さこそ、子供の長所だろうに」
 揶揄とも窘めともとれる微苦笑には、その顔に皺が無いにも関わらず、熟成された精神の深みが滲んでいた。
 ともすれば父よりも老熟した雰囲気に、桜も一瞬の戸惑いを覚える。けれど男の全知を仄めかす態度に、感情が軟化される事は無い。寧ろ押し付け紛いの言動には、神経は逆撫でされる一方だった。
「あんたが吸血鬼? それこそ馬鹿げている。こんなに日が照ってるのに、何でそんな寝言を言えるの?」
 仰いだ夏空を裂く鋭い日差しは、涙すらも奪っていくほどに白い。光の槍でちりちりと痛む眼球は、今にも燃えそうだ。
「成る程、良い皮肉だ。やはり日本人は言葉遊びが巧い」
 男は一つ頷いてから、「だが」と続けた。
「そもそもに君の―――否、世間での吸血鬼観は、大分間違っている。私達は日光を浴びて灰になる事も無ければ、個人的な嗜好以外でガーリックを嫌う事も無い。勿論蝙蝠になる事は質量保存の法則からして論外であるし、十字架などただの装飾品だ」
「それは、普通の人と変わり無いんじゃ?」
 八重太の声だ。どうやら、彼も幾分落ち着きを取り戻したらしい。
 桜がいつも通りの弟の様子に吐息を零す傍ら、男はちらりと視線だけで八重太に笑いかけた。
「如何にも」
 舞台役者の様に、男は両手を広げて見せる。
「元来、私達と人の祖は同一であるとされている。故に根本は同一なのだよ。亜種と言えば良いかな」
「亜種?」
「我々の祖先は、地殻変動によって孤立した島で人とは別の進化を遂げたとされる。突然変異と言うやつだ。―――チャールズ・ダーウィンの『種の起源』を知ってるか?」
「……知らない」
「君達には少し早いかも知れないが、機会があれば他の進化論と併せて一度調べて見ると良い。あれは神の鼻っ柱をへし折った傑作なのだから!」
 何が面白いのか、心底愉快そうに男は笑う。その不可解な反応に思わず姉弟が一歩後退ると、彼ははたと我に返った様子だ。笑声を引っ込めた代わりに、ばつ悪げな苦笑を滲ませる。
「話が逸れてしまったな。簡単に言えば、私の祖先とやらは、閉鎖された過酷な環境下での生活を強いられた。そこでは獲物の血の一滴さえ命を繋ぐ糧となりえた―――それが、一部の研究者の推論だ。つまり、ヴァンパイアたる一番の証拠は、これに尽きる」
 徐にその長身を畳んだ男は、姉弟に対して顔をぐっと近付けた。二人が退くよりも早く、彼は己の上唇を指で掬い上げる。

 ―――……現れたのは、予想に反して至極人らしい[・・・・]歯列だった。

 徒労となった緊張を強いられた桜は憤然と眉を吊り上げたが、しかし次の瞬間には吐き出しかけた怒声を飲み込む事となる。
「う、あ……」
 喘ぐ様な弟の声に、咄嗟に彼の手を握る。
 掌の粘ついた汗がどちらの物かは分からない。そんな事よりも、男の犬歯の裏から現れたそれ―――陰になっているが、生々しく唾液に濡れて光る鋒は誤魔化し様もない。猫の爪に似た『牙』から意識を逸らす事は、いくら気の強い桜でも不可能だった。
 時間にしたら数秒。けれど常識を破壊された瞬間は永遠に等しいのだと、初めて思い知らされる。
「……そこまで青ざめられると、やはり傷付くのだが」
 いつの間にか元の通り背筋を伸ばした男が、小さく肩を竦めて見せる。おどけた態度に少しも二人の緊張は緩まなかったが、それでも空気にそぐわない仕草は思考を再開させる切欠となった。
「それは、本物……?」
 恐る恐ると言った風に、八重太が聞く。往生際の悪い理性は、桜の中にも残っている物だ。弟と違い口にはしていないが、男はそれも理解しているらしい。
「疑り深い子等だ。なんなら、指の一本でも差し出してくれたら、映画の世界を実践してあげるが?」
「ぃ……! 遠慮しときますっ」
 慌てた様子で八重太が首を振る。
 無理もない。冗談混じりの口の上で細められた本気の目には、識閾下で背中の毛を逆立てさせる力があったのだから。

PR
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
P R

Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]